怖い話らぼ −怪談・都市伝説まとめ−

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タグ:地域の風習にまつわる怖い話

私の田舎では『コケシ』のことを『コッケさん』と言って、コケシのような呼び方をすると、大人にそうとう怒られました。 
中学生に上がりたての頃。半端なエロ本知識で『電動こけし』という単語を知った。
クラスの友達がコケシコケシと連呼してるのを指副担に見つかり、バカスカ殴られてました。 
大学に入って初めて知ったのですけど、指副担(シフクタン)なんていう役職は、ほかの地域にないんですよね。 
あ、指副担というのは、生活指導副担という意味で、別に何の教科を担当してたわけでもないです。 
野球部のコーチみたいな感じで、毎日学校には出てくるのですが、
だいたい用務員室で茶飲んで、定時前には帰るような感じでした。 
学校行事の中で踊りみたいなものは、指副担の先生が指揮をとってました。 
運動会で必ず、メイポールの祭りみたいな踊りを伝統的にやらされてたのですが、これは指副担の先生の独壇場でした。
列が乱れたり、ポールから引いたリボンがたるんだりすると怒るような。組体操よりぜんぜんこっちが大事でした。
体育教師の数倍ヤな感じでした。


高校に入って、地元の青年会に入ると、コッケさんのあらましは聞かされるのですが、
それもまぁ、コッケさんという地神さんは伝統だから行事は守らないといけない、みたいな感じの話で、要領を得ません。
地域に大きな寺社や宗教施設がないし、中学高校にもなると、さすがにいろいろヘンな噂が立ってました。 
・**中学の裏にある井戸が本尊で、毎年一人生贄にされる。
・高校出て町に出るときは、井戸に後ろ髪を納めさせられる。
噂は噂でしたけど、実際私がいたころは、後ろ髪を伸ばした奴が多かったです。
単なるヤンキーだったのかもしれないですけど。今は帰らないのでどうかわかりません。 

今、同郷の女の子が近くのマンションに住んでて、その子の叔父さんが指副担やってたんですけど、 
このスレでコケシの話題が出てたので、なんか関係ありそうだったので聞いてみました。 


私たちがコッケと読んでいるのは『固芥』と書くらしいです。 
明治に入ってすぐのころ、
飢饉と水害の土砂崩れで、村が外部との交通が遮断されたまま、ひと冬放置されたことがあったそうです。 

十二月二十八日のこと。(旧暦かどうか不明)
知恵の遅れた七歳の子供が、
村の地区(どの地区かは教えてくれませんでした) の備蓄の穀物を、水に戻して食べてしまったそうなのでした。 
その子供は、村の水番が妹との間につくった子供で、
(本当かどうかはわかりませんが、水車小屋のような場所があったので、すぐそういう性的な噂が立てられた) 
水番が罪を犯すと、翌年は日照りになるという迷信がまだ残っていました。 
水番は責任感が強かったので、子供を殺して村に詫びようとしたそうです。 


実際『子供を殺せ』と書いた無記名の手紙を投げ入れるような嫌がらせが、すぐ始まったそうです。 
水番に不利に扱われていた家も多かったし、
実際、穀物の管理責任は水番にあるので、そういうのが起きても仕方ない状況ではあったそうです。 

年明けて一月二十八日の深夜。 
いくら何でも水番が自分の息子を殺すのを容認はできませんので、
このことは村全体で考えよう、と談判していたところだったのですが、 
水番の妻が泣きながら世話役の家に走りこんで来て、「亭主が首を括ったので来てくれ」と言うのです。 


水番の家に行くと、井戸の上に『井』の字に竹を渡して、そこから首を吊るすようにして絶命している水番がいました。 
あまりの酷さに世話役たちが顔を背けていると、くだんの息子が傍らから世話役の袖を引いて、
「みましたか!みましたか!」と、目をらんらんと輝かせて尋ねるのだそうです。 
この子はもはや正気ではないとはわかっていました。 
が、当時の解釈では、これは水番の相反する気持ちが、
子の魂は滅ぼしても子の肉体は母のために生かしておいてやりたい、という願いになり、 
親子の魂が入れ替わったのだ、というのが支配的でした。 
間引きのために子供を殺したことはありませんでしたが、 
このとき村で初めて、この子供を殺そうという結論が出たのだそうです。 

横糸を斜めに織った長い綿布で首を包んで、布に少しずつ水を吸わせて、
誰も手をかけないうちに殺そう、ということになりました。 
しかし、そこは素人考えですので、首は絞まってもなかなか絶命しません。 
子供は父と同じ顔で、「誰じゃ、食ったのは誰じゃ」と声を上げていました。 


恐れおののいた村人は、父が死んだのと同じように、井戸に竹を渡してそこから子供を吊るしました。 
ものすごい形相でにらむので、まぶたの上から縦に竹串を通しました。
子供は数日糞便を垂れ流して暴れたのち、絶命しました。 

その明けた年は、飲み水から病気が発生し、多くの人が命を失いました。 
さらに、本当に穀物を食ったのがこの子供ではなく、世話役の十三になる子供だったことがわかったのだそうです。
このとき、世話役は躊躇なく我が子を同じ方法で吊るしたのだそうです。 
あくる年の、一月二十八日のことだそうです。 

「というわけで、一月二十八日はコッケさんの日になったんですよ」 
「はー、なるほど。命日なわけな」 
うちで飯を食べてもらいながら、彼女(指副担の姪っこ)に教えてもらいました。 
「だから固芥忌(コケキ)っていうのが正しいんですよ」


「運動会の行事も、意味わかると、ひどいね」 
「…村人全員で子供をシめる儀礼ですからね。本来、こういう形でやさしく弔ってあげたのに、という偽善ですよね」 
「うん」
(運動会の踊りは、メイポール Maypole の祭りに似てますので、
 知らない人は検索してもらうと、どういう形なのかわかります。中央のポールが子供です) 


「…あとですね、これ、私一人で気づいたんですけど」 
彼女はペンを取って、チラシの裏に『芥』の字を書きました。 
「おお、28やん。オレも今気づいた」(くさかんむりと、その下の八の字で、二十八と読めます)
「え?」 
彼女はきょとんとしていました。 
「いやだから、にじゅうとはちで、その命日を表してるんでしょ?」 
「…ほんとだぁ」 
「え、違うの?」 
「いや、そっちが正しいんですよねたぶん」 
「何よ、教えてよ」 
「いや、いいです」 

しばらく押し問答した末、彼女は折れて、文字を書き足しました。 
「これね、縦書きなんですよ」 


固 
芥 

「目をつぶされた子供が、竹の枠に首から下がってるの、わかるでしょ?」


ヤな風習ですけど、建前上秘密ですので、それらしい集落に行ってもコッケさんのことは聞かないでください。 
指副担は昔の水番の一族がやってるっていうのは、上の文章でなんとなくお分かりになられたと思いますけど、
経緯が経緯だけに、近親婚をやたら気にするんですよ。 
もとから村の中はみんな従兄弟みたいな感じなんで、
指副担にはなるだけ事情を知ってるよそ者の血を入れよう、ということになってるみたいです。 
あんまり訳知り顔で聞くと、村から出られなくなると思います。

小学校の時の体験談を投下。 

稲刈りのシーズンに、体験学習みたいなやつで山の中の合宿所に行った。 
そこでは稲刈りやって、脱穀やって、夜になったらキャンプファイヤーして、一泊することになってる。 
そしてその合宿には、県内の大学生もボランティアで参加してる。
その時も、男女合わせて七人くらいいたと思う。 

昼間、稲刈りしてる時に蛇が出てきて、しかも、その蛇をクラスの男子が鎌で怪我させちゃったりしたんだけど、
まあ、それ以外は大したこともなく夜になった。 

んで、キャンプファイヤーが始まって、しばらくしてから異変が起こった。 
女の子の一人が、急にヒステリー起こしたように大声で喚いて暴れだした。 
大学生のお兄さんや合宿所の人が、「どうしたの!」って建物の中に連れていこうとしたんだけど、
すごい勢いで暴れるので、大人が二人がかりでも押さえきれない。 
それを見た他の子も怖がって、泣いたり騒いだりで、
おまけに誰かが「蛇のたたりだ!」って言い出して、ますます収拾つかなくなった。 

もうほんとキャンプファイヤーどころじゃなくて、
大人は子供を合宿所の中に入らせようとするんだけど、誰も怖がって動けない。 
そのうち山の方を指差して、「何かがいる!」なんていう子まで出てきた。 

自分霊感ないんだけど、
その時、合宿所の庭?から山道に続く藪の中で、ほんとに何かがこっちを見てるような気がした。 
すると大学生のお姉さんの一人が、倉庫の方に走っていった。 
何かを持って戻ってきたかと思うと、藪のほうに突進した。 
何をするのかと思ったら、手に持ってた何かを藪に向かって投げつけて、ものすごい気合の入った声で「消えろ!」と…。 
その瞬間、交尾シーズンの猫の鳴き声よりももっとすごい何かの声がして藪が揺れ、
気配が一気に遠ざかっていったような気がした。 
暴れていた女の子は一気に静かになって、救護室みたいなところに運ばれ、
大急ぎで火の後始末をして、皆建物の中に逃げ込んだ。 

次の日もレクリエーションの予定があったんだけど、
「具合の悪い子が出たから」とかで、早々に切りあげて解散。 
稲刈り体験学習は次の年もあったけど、一泊することはなくなったらしい。 

でも、大学になってから始めたバイト先で、ちょっとびっくりするようなことが。 
なんと、あの時大学生ボランティアとして参加してた人が、バイト先の上司だったことが判明。 
あの時の話で盛り上がり、
「そういえば、あの時ボランティアのお姉さんが投げたのは、何だったんでしょうか?」と聞いてみた。 
上司が言うには、あの時お姉さんが投げたのは、脱穀したばかりのお米とのこと。
なんでも、平安時代の呪術の一種で、お米を投げて魔を祓うというのがあったらしい。 
翌朝、お姉さんはその上司に手伝ってもらって、撒いたお米を拾い集めて紙に包み、それを燃やして、
灰を近くの川に流したとのこと。
拾い集めたお米には、血みたいなものがこびりついていたらしい。
気持ち悪くて素手で触る気になれず、お姉さんもゴム手袋はめて拾ってたらしい。 

「昼間怪我させた蛇かどうかはわからないけど、あの時本当に何かがいたのかもしれないね」と上司は言っていた。
ただ上司は、お姉さんがお米を投げた時に聞こえた猫の鳴き声のすごいのは、聞こえていないし覚えてないとのこと。

小学校低学年の頃、学校から帰ると叔父がいた。
叔父は青ざめてて生気がなく、俺の顔を見ても「おかえり」としか言わない。
叔父は関東の隅っこの山の麓で嫁さんと二人暮らしのサラリーマン。
小学生が帰っている時間に都内のうちにいるのはおかしい。
子供心になにかよくないことがあると思って聞けなかった。 

夕食。叔父も父も母も妹も、一言も喋らずに黙々とご飯を食べた。
突然叔父が箸をおいて口を開いた。こんな話。
一週間ほど前、
「うちの犬が毎日昼の決まった時間になると狂ったように吠えて、ご近所に肩身が狭い」
と嫁さんが言い出したらしい。
叔父は「犬には犬の社会があるんだよ」とテキトーに流した。
それからも犬の奇妙な行動は続いたらしく、少し恐くなった嫁さんは昼時には家をあけるようになった。
叔父はくだらないことで脅える嫁さんに腹が立って、
今朝「今日は早く帰ってくるから、家にいろ」と言って家を出た。


昼前に会社を出て、嫁さんの言う午後1時頃に家につくようにした。 
バス停から田んぼだらけの田舎道を家に向かって歩いていると、なるほど、気の狂ったような犬の鳴き声がする。
威嚇するような、おびえるような声。
面倒臭い、とため息。 
遠目に家が見えてきた。と、なにかが庭を走っている。
犬が吠えてる相手かな?キツネか?タヌキか?と足を速めるが、ぴた、と足が止まった。冷や汗が吹き出る。
庭を走りまわっているのは子供だった。和服を着た小さな子供。
走り回るというか滑るような感じで、家の周りをぐるぐるぐるぐる回っていた、らしい。
振り回してる腕は、ビデオの二倍速のように速い、不自然な動きだったらしい。

化け物だ!と思ったが、常識人の叔父はにわかには信じられず、遠目に何か他の物ではないかと目を凝らしたらしい。
が、紛れもない青い(赤だったかな?)和服を着た子供だったらしい。
犬は子供に向かって狂ったように吠えていた。 
叔父は嫁さんが家にいると知りながらも、どうしても家に近づく気になれず、
走って駅まで引き返し、とりあえずうちに来たのだと言う。 
家に電話をしても嫁さんは出なかったらしい。 

明くる日曜、朝一番に父が叔父を家まで送った。
幼心に、心配とちょっとした興奮があった。
昼前に親父が叔父の住む駅前から電話してきて、
『一応家までは送っといたよ。でも犬はもうおらんかった』と言った。
鎖も首輪も残して消えてしまったらしい。

親父が帰って、夕方ごろに叔父からも電話があって、
『○○(俺)話きいたか?犬には可哀相なことしたなあ。なんかオレのせいでどっかいっちゃった気がするよ。嫁さんも大丈夫。迷惑かけたなじゃあ、元気で』って変な挨拶をされた。
 
この叔父とはこれっきり。 
行事にもマメな人だったけど、それからなんの法事も葬式も出なくなった。
もう10年になるけど、家族であの叔父の名前を出すのはタブーになってる。
昨日妹と話したけど妹も覚えてて、二人で不思議がった。 

恐い話じゃないかも知れないけど、叔父のこと思うとシャレんならん。すまん。
『子供』はなんだったのかなあ。
叔父は山梨なんですけど、地元の人、なんかそういうの知りません?



去年の盆前くらいに祖父が他界したとき(祖母は五年位前に他界)に、変な話を聞いた。 
実家で通夜をやるので帰郷したんだが、
その夜に喪主でもある叔父さんと昔話の流れで、近所の子供が死んだ時の話が出た。 
俺が小学校の時なんで、その子がどんな死に方をしたとかは全然憶えていなくて、
かろうじてそんな事もあったな~という感覚。 
でも叔父さんの子供の頃に、近所で全く同じ死に方をした子供がいたらしくて、
その時の事を今でも時々思い出すと言ってた。 

で、その死に方なんだが、手足が千切れて失血死なんだと。 
「それ殺人じゃないの?」って聞いたんだけど、
結局犯人も見つからないし、文字通り手足が『千切れてる』から、
とても人間の仕業じゃない、野性の動物かなんかにやられたんだろう、って事で決着がついたらしい。 
そんな動物いるのかなと思って首をひねってたら、
叔父さんが昔聞いた、同じ死に方をした子供の話もしてくれた。 

叔父さんが小学校に入る前くらいの頃、この辺りはすごいど田舎だったらしく、田んぼの中に家々が並んでるような所だった。
でも、そういう農家の連中とは別に、何やってるんだか分からないような連中の家もあったらしい。 
祖父や祖母はそういう家の人達を、『ほうりもん』って言ってたそうだ。 

叔父さんはまだ子供だったし、ただでさえ人の少ない所だったから、そういう家の子供ともたまに遊んでたんだけど、
そうするときまって祖父や祖母は叔父さんに、「あそこの子供とは遊ぶな」と怒られたらしい。 
叔父さんもどんな意味かは知らないそうだが、
そういう家の見分け方として、軒先に小さい三角形の紙を吊るしてあったんだと。 
だから、あまりそういう家の子供と遊ぶのは嫌だったと言ってた。 

で、叔父さんが小学校の高学年くらいの時に、そういう家の女の子が件の死に方で亡くなった。 
それからしばらくその辺りに住んでる家の大人が、毎日集まって夜中まで帰ってこない日が続いたらしい。 
外に出て遊ぶ子供も居なくなっちゃって、叔父さんも祖父や祖母に「暫く外には行くな」って言われたそうだ。
(何回か黙って外行ってたらしいが)

結局、何日かすると、祖父や祖母が夜中まで帰ってこないような事は無くなったけど、
例のほうりもんの家の人たちが、少しずつ変な行動をするようになった。 
叔父さんの話だと、
子供が外で遊んでいると、常に遠巻きに見つめる。 
いくつかの田んぼに鶏の足?みたいなのが捨てられる。
家の前の土が掘じくり返される。
ってな事があったらしい。 

そんな事があって、近隣の空気が暫くピリピリしてたある日、近所の子供(叔父さんの友達)が重い病気になったそうだ。
初めは体が痛い痛いと泣くだけだったが、その内だんだん手足が曲がってきて、とても見てられないぐらいになったらしい。
医者の診断では、「おそらくリウマチだろう。でも、こんなに酷いのは今まで見た事無い」と言ってたそうだ。 

すると、また近所の大人達が夜に帰ってこなくなった。
どうも叔父さんの友達の病気は、あのほうりもんの家の人達が原因と、祖父や祖母たちは考えていたらしい。 
そんな事が続いた後、ほうりもんの家の人達は近辺から姿を消してしまって、
あの友達も結局その後すぐ死んでしまったそうだ。
叔父さんの話はそこで終わり。

俺はこの話聞いて気分悪かったんだけど、叔父さんが複雑な表情してたから、なんか黙ってるしかなかった。 
結局それ以上の話は聞けなかったし、
そんな強烈な事件が近くであったのに、ほとんど憶えてないのもいまいち腑に落ちないんだよな。 
なんとなく変な感じはするんだけど、よく分からなくて気持ち悪かった。


引用元:ほんのりと怖い話スレ39


少し長くなりますが、数年前の体験談を書きたいと思います。 

私の実家は雪国なのですが、盆地のせいで夏場は熱がこもり、夜はかなり暑くなります。 
田舎な上にネットやゲームもない環境だったので、私は退屈していました。 
時間は夜の10時を少し回ったころです。 
家の周囲が水田ということもあり、開けた窓からは蛙の声がうるさいくらいに飛び込んできます。 
熱気をおびた空気がまとわり付き、なんとも不快でした。 
私は少しさっぱりしようと、その日何度目かになるシャワーを浴びることにしました。 

風呂場に行き、電気のスイッチを押したのですが反応がありません。 
「切れたか?」 
そう思った私は、替えの蛍光灯を取りに外にある物置へ向かいました。 
私の家の周りに街灯はなく、家から漏れてくる明かりだけがぼんやりと辺りを照らしています。 
その明かりに向かって、蛾か何かがしきりに体当たりを繰り返す音が聞こえていました。 
それ以外の音は蛙の声と自分の足音くらいで、私は妙に寂しい気分になり、知らず知らずのうちに独り言を言っていました。
「無いなぁ……こっちか?」 
「これは…っと、違うしな」 
「うひゃぁっ、中学ん時のエロ本だ。こんなとこに隠してたのか、俺…」
しばし、熟読。 
その他にも色々と懐かしい物が出てきて、当初の目的を忘れて私は物置を物色し始めました。

物置の小さな裸電球の下であれこれと探っているうちに、古びた木箱を見つけました。 
それは相当奥まった場所に置いてあったため、厚い埃を被って蜘蛛の巣まみれでした。 
大きさは大体一辺30cmくらいでした。蓋の部分を少し横にずらしから開けるように、細工がしてありました。 
道具箱か何かかと思いましたが、持ち上げてみると軽く、振ってみても音はしません。
呪物として用いられる箱の話は知っていたので、もしかしたら良くない物が入っているかも知れない。
そういう恐れはありましたが、見たところその箱にお札や封印は張られていませんでしたし、危険な感じもしませんでした。
少し逡巡した後、私はその箱を開けました。 

中に入っていたのは、綺麗な毬でした。 
絹か何かで作ってあるのか、手触りはすべすべと心地よく、
夏場の熱気など知らないといわんばかりにひんやりとしていました。
椿を模したと思われる柄が赤を基調に編まれており、見た目もとても美しいものでした。 
にも拘らず、私は恐怖と後悔に襲われていました。 
理由は分かりません。
ただその毬を箱から出した瞬間、
「触らなきゃよかった」「どうしよう」「怖い」 
それだけが頭を占めていました。 
「ごめんなさい」「ごめんなさい」「ごめんなさい…」 
気付けば、何故か私は謝罪を繰り返していました。 

震える手で毬を箱に戻し、元あった場所に押し込んで、物置から逃げ出しました。 
家に入るとやっと現実に戻ってきた気がして、へたへたとその場に腰を下ろしました。 
冷や汗で全身はぐっしょりと濡れ、Tシャツが気持ち悪く張り付いています。 
「あんた、どうしたの?」 
突然声をかけられ、飛び上がらんばかりに驚き、声の主を確かめると母でした。 
怪訝そうに私を見ています。
「風呂の蛍光灯、切れてて…物置に、取りに行ってた。無かったけど…」 
「……いちいち取りに行くの面倒だから、私の部屋のクローゼットに入っているわよ」 
「それ、先に言ってよ」 
「それじゃ、まず聞きなさいよ。
 私はエスパーじゃないんだから、あんたが何探してるかなんか分かるもんですか」 
それもそうだと頷きながら、私は居間に向かいました。 
母と話したお陰で大分落ち着きましたが、一人で風呂に入る気にはなれず、明るいところにいたかったのです。 
たかだか毬一つで何を馬鹿なと思うでしょうが、私は毬に恐怖と罪悪感を感じていました。

居間には父がいました。 
いつものように晩酌をしながら、笑いもしないでバラエティー番組を観ていました。 
ちっとも楽しそうには見えませんが、本人曰く「楽しんでいる」そうです。 
私は父の横に投げ遣りに腰を下ろし、一つ息を吐きました。 
「もらうね」 
父に一声かけ、酒とおつまみに手を伸ばしました。 
あまり欲しくも無かったのですが、何かしていなければ落ち着かなかったのです。 

ポリポリと柿ピーを食べながら、酒を注ごうと徳利に手を伸ばしたとき、
父が私をじっと見ていることに気がつきました。 
バラエティー番組を観ている時と同じ、無表情で。 
「えっと……食べちゃダメだった?」 
無言のプレッシャーに負け、私は尋ねました。 
「触ったのか?」 
父は私の質問に答えず、聞いてきました。 
毬のことだ。すぐに分かりました。 
何故父が。頭が混乱して、私は何も言えませんでした。 
「触ったのか?」
もう一度同じ質問をされ、私は力なく頷きました。 
罪悪感や恐怖、後悔、色々な感情がごちゃ混ぜになって、涙が溢れそうでした。 
「そうか」
父は短くそう言い、クイッと酒を呷りました。 
そして、ふぅっと強く息を吐き、話してくれました。 

「あの毬はな、俺のお祖母さん、つまりお前の曾祖母さんのものだ。どういうものであるかは俺も知らない。 
 ある時、曾祖母さんが山に行って、数日戻ってこなかった事があったらしい。
 探しても見つからずに、諦めかけた頃に、ふらっとあの毬を持って帰ってきたそうだ。 
 何処に行っていたのか尋ねても『分からない』、毬に関しては『貰った』の一点張りだったらしい。 
 見たなら分かるだろうが、相当いい物だ。
 貧しい時代にほいほいくれるわけが無いと、曽祖父さんが問い詰めたそうだが、結局分からずじまいだ」 

「まぁ、綺麗な毬だからな。
 最初は渋ってた曽祖父さんもそのうち気に入って、結局捨てたりせずに持っていることにしたそうだ。 
 家族には娘もいたんだが、曾祖母さんは決してその毬で遊びには使わせずに、大切に奥の床の間に飾っていたらしい」

「でも、奥の間で毬をつく音がするだとか、毬で遊ぶ子供の姿を見たとか、良くない話が出てきてな。 
 曽祖父さんが厳重に封して蔵に仕舞ったらしい。
 毬を持ってきてから曾祖母さんが体調を崩して臥せったって話もあるから、気味が悪かったんだろうな」 

「毬を仕舞ってからしばらくして、曾祖母さんが亡くなった。 
 その後も悪いことが立て続けに起こって、あっという間に家は没落したらしい。 
 まぁ、元々傾きかけていて、一時は持ち直したそうだがそれも力及ばず、今となっては一般家庭だ。 
 ただ、曽祖父さんの言いつけを守って、あの毬は代々長男が管理しているんだ」

私は父が語る話を黙って聞いていました。 
蛙の声も、また流れ出した汗も気になりませんでした。
父は話を続けます。

「お祖父さんがそれを受け継いだ時、姉さん、つまり叔母さんがあの毬を見つけて触ったらしい。 
 その時も今のお前と同じように怯えて、
 『怒られた』『ごめんなさい』って、うわ言みたいに泣きながら繰り返してたよ。 
 どうやら長男以外の人間が触ると、毬が怒るらしいな。 
 結局、叔母さんも数日後にはケロッとしてたから、お前も大丈夫だ。安心しろ」 

そう言って、父はやっとニコッと笑いました。 
その笑顔を見て、私は詰まっていた息をようやく吐き出すことでき、緊張で固まった身体をゆるゆるとほぐしました。
結局、毬についてはそれ以上聞けないまま、その日は就寝しました。 

あれから数年、私はどうしても毬のことが頭から離れずに色々と調べてみました。 
呪物に関することをはじめとして、民話や伝説まで。 
調べを進めていくうちに、きっとこういうことかなという仮説が出来上がり、 
去年の帰省の時に、確かめる意味を込めて父に言いました。 
何気なく注意しなければ分からないような小さい声で、 
「マヨヒガ」 
この一言だけです。 
父はニヤリと笑い、同じように一言、私に返しました。 
「ワラシサマ」
どうやら、父は私と同じように毬について調べ、私と同じ結論に行き着いたようです。 


引用元:ほんのりと怖い話スレ32

小学生の頃、よくH瀬村と言う山奥にある村に遊びに行ってました。 

毎年夏になると、写真好きの父に連れられ村を訪れ、村外れにある川で泳ぐのを楽しみにしていました。

私が小学四年生の夏、いつもの様に父にくっついてH瀬村の川に泳ぎに行きました。 

父は川から少し離れた所で珍しい花を見付け、シャッターチャンスを伺っていました。 

その日は夏にしては風が強く、なかなか思うような写真が撮れないでいたのです。 

気温も上がらなかったため、川で泳いでいた私はすっかり冷えてしまい、早々と車の中で服に着替えてしまいました。

父は相変わらず難しい顔をしてレンズを覗いています。 

つまらなかった私は、川上の方へ向かって河原を歩き出しました。 

蝉の声とチャラチャラと流れる川の音以外、何も聞こえません。 

どれだけ歩いたでしょう。振り返ると、さっきまでいた場所がもう見えません。 

少し不安になり、そろそろ戻ろうかと考え始めました。 

その時、ゴロゴロという音と共に、空に暗雲が流れ込んで来たのです。 

ポツリポツリと雫が落ちたかと思うと、すぐに大粒の雨が降ってきました。 

慌てて近くにあった木の茂る場所へ避難しました。 

早く止まないかなと不安になっていると、ふと背後でチョロチョロと水が流れる音がします。

振り返ると、少し茂みへ入った所に小川が流れていました。 

そこに何やら輝くモノが流れていたんです。 

興味をそそられた私は、近くに行って見てみました。 

それは小さな灯籠の様な物でした。ゆっくりと川下へ流れていきます。 

どこから来てるのだろう。またも好奇心をそそられて、今度はそれを追って小川の川上へと行ってしまったのです。 

しかし、木が生い茂ってる上、雨雲のせいで空は真っ暗。足下もよく見えず、何度も転びそうになりました。

10分ほど歩いた時、前方で人のざわめきが聞こえてきました。

軽く息を弾ませながら近寄ってみると、村の人達が傘を差し、手に先ほどの灯籠を持って集まっていました。 

その中の一人が私に気付き、手招きをしたので行ってみると、
 
傘と小さな灯籠を私に手渡し、一緒に祭りに参加しようと言うのです。
 
そういえばお囃子の音が聞こえます。
 
見ると『○宮神社』と書かれた石の鳥居があり、境内には出店が出ています。
 
子供達が楽しげに狐の面を被ってはしゃいでました。 
 
私も楽しくなってきて、一緒にお祭りに参加しました。
 
と言っても、先ほど手渡された灯籠を川に流すだけですが。 
 
他の人と同じように灯籠を水面に置きました。
 
しかし・・・私の灯籠だけが、少し流れた後にひっくり返ったのです。 
 
炎はジュゥと微かな音を立てて消えてしまいました。 
 
その瞬間、あれだけ賑やかだった周りのざわめきがなくなってしまったのです。 
 
五月蠅いテレビを消したときのような、そんな急な静寂でした。 
 
びっくりして見わたすと、さっきまではしゃいでいた子供も、世間話をしていた老人も、楽しげに笑っていた夫婦も、みな寂しげな顔をして私を見ているのです。 
 
近くにいた老婆が無言で私の手を取り、その場から離れてしまいました。 
 
手を引かれるままに私は歩き続けました。 

どこまで行くのかな、そう思って顔を上げたとき、目の前には私が泳いでいたあの川があったのです。

どうやら、ジグザグに歩いてるうちに戻ってきたようです。 

フッと気が付くと、私の手を引いていた老婆の姿はありませんでした。 

さすがに怖くなってしまい、河原を走って逃げるようにその場から去りました。

そんなに行かないうちに、父の車が見えてきました。 

車の側では父が私を捜しています。 

「お父さん!」

私の声を聞きホッとしたように父が手を振りました。

と思ったら、ギョッとした顔で指をさし尋ねるのです。 

「その手に持ってるのは?」 

それは先ほど祭りの村人に手渡された傘だったのですが、

既に傘としての役目を果たせないほどに破れまくり、骨がみえていたのです。 

父に今まであった出来事を伝えると、首をひねりながらこう言いました。 

「雨なんて一度も降らなかったぞ?それに、その辺りで祭りなんてないと思う。あそこは随分と木が生い茂っていて、そんな人が大勢集まれるような場所ないと思うけどなぁ」 

そんなはずはないと私は必死で抗議します。 

仕方ないなという感じで、父はある民家に連れて行ってくれました。 

そこは父が○瀬村を訪れた際、よく世間話をしたりお茶をご馳走になったりして、親しくしている方の家でした。

そこに行き、私が言ったお祭りが本当にあるのか聞こうと言うのです。

家にいた中年の女性は、私達を客間に通し麦茶を出してくれました。 

父が祭りの事を聞くと、ハハァと呟き話してくれました。 

「珍しい事もあるもんですね。それは多分×××ですねぇ。 お盆近くになるとね、亡くなった方の霊が、○宮神社に集まり祭りをするという伝説があるんです。小学生の頃、私の友達のちぃちゃんと言う子も、その祭りに迷い込んだって言うんですよ。そこで灯籠を手渡されて、川に流したら沈んでしまったと。沈むと言うことは、その人がまだ生きてると言う印なんですよ。それで、仲間だと思ってた周りの幽霊達ががっかりしちゃうんですって」 

聞けば聞く程、そのちぃちゃんの体験は私と同じだった。 

迷い込む前に雨が降り出した事、小川を辿って神社に着いた事、村人に手を引かれて戻ってきたこと・・・

「小川はないけど、私のひいひいおじいさんの代くらいまでは、確かに○宮神社はあそこにあったらしいのよ。でも元々小さな神社だったし、周りはあの通り生い茂ってるでしょう。そのうち誰も参拝しなくなったんですって。今もあるのかは分からないけど」 
 
私はやっと背筋に冷たいものを感じ始めた。 

あそこで賑やかに祭りに参加していた人たちは、皆この世の物ではなかったんです。 

私の手を引き、こちらの世界まで誘ってくれたあの老婆もまた・・・

チリリン・・・と風鈴が涼しげな音を奏でた。 

ボンヤリと風鈴のある隣の部屋に目を向け、思わず叫んだ。 

そこには仏壇があり、遺影の人物は、私をこちらの世界まで連れてきてくれた老婆にそっくりだったのです。 

「あれ、トメさん亡くなったんですか?」

父も驚いて仏壇に目をやった。

「えぇ。もう半年以上前です。88歳、天寿を全うしたでしょう」 

線香を上げる父の隣に座り、私は遺影を眺めた。 

似てると思ったけど、少し違うような気もする。

でもはっきり顔を見たわけじゃないし、断定は出来ない。あやふやだった。 

それどころか、祭りの記憶も何だか朧気で、必死で思い出そうとしても記憶の画面に靄がかかってしまう。

ただ、あのお囃子の音だけはしっかりと耳に残っていた。 

あれから何年も経ちました。あの一件があって以来、私が○瀬村に行ったのは二回だけです。 

何とか神社を見付けようと思ったんですけど、正確な位置を覚えてませんでした。 

村の人も、詳しく知ってる人はいませんでした。 

もう一度行きたいと思ってるのですが、残念ながら○瀬村は平成△△年ダムに沈んでしまったのです。 

あの村の風景を見るのは、もう父の写真でしかないのですね。



引用元:ほんのりと怖い話スレ32 


子どもの頃、ひい爺さんから聞いた話を書きます。 

ひい爺さん(以下爺さん)は明治の早い時期の生まれで、しかも山村で育ったためいろいろと奇妙な風習を知っていて、
自分が子どもの頃によく話してくれました。 
爺さんの村では送り番という役回りがあり、これは三軒ひと組で回り番で当たる遺体の埋め役のことだそうです。
当時爺さんの村はまだ土葬で、
寺で葬式を行った後に、遺体の入った棺桶を荷車にのせて村はずれにある墓域まで運ぶのです。
村の顔役や男手のない家では代わりを頼むこともできましたが、葬式では酒も振るまわれ些少の礼金も出たそうです。

ただ遺体は棺桶(これは四角い棺ではなく丸い大きな桶)ごと埋めると場所と手間、費用もかかるので、
4~5尺ほどの穴を掘って、死装束の遺体をそのまま埋めるのだということでした。 

そうするうちに村で人死にがあり、これは当時では珍しく自殺だったそうです。
五十ばかりの百姓が、土地争いの裁判で負けて先祖代々の耕作地をすべて失ったのを苦にしてのことでした。
そして爺さんと組んでいた埋め役の一人が訴訟の相手だったのです。これは具合の悪いことでした。 
遺族もその人にやってほしくはなかっただろうと思うのですが、
その人は、葬式には出ないが村のしきたりの埋め役はやる、といって頑としてきかず、
これは後で考えると、村内で弱みを見せたくないという虚勢や打算があったのではないかと爺さんは言っていました。 

葬儀では棺の中に古銭を入れたりなど各地でさまざまな風習があるものですが、
爺さんの村では遺体の口の中に鬼灯(ほおずき)を入れるということをしていました。
表向きは死出の旅の慰めにということになっていましたが、
本当は死人が口を利いたりしないよう封じるためだったろうとのことです。 

葬式が終わって、寺の外で待っていた訴訟相手の人ともう一人の人と三人で荷車に棺桶や鍬などの道具をのせ、 
街灯もない街の灯りもない月もない夜道を、くくりつけた提灯の明かりだけを頼りに出かけていったそうです。
墓所までは三十分ばかり、さらに小一時間ほど穴を掘って遺体を桶から出して穴に下ろします。 
丁寧にやっていたつもりでしたが、底まで一尺ばかりのところで、
誰かの手が滑ったのか、遺体を頭から穴に落としてしまいました。
するとポンと音を立てて口から鬼灯が飛び出しました。 
もう後は土をかけるだけでしたので、鬼灯はそのままにして腹から土をのせていきました。
さすがに顔に土をかけるのはためらわれるので、一番最後になることが多いのだそうです。
爺さんはこれでもう終わったようなものとやや気を緩めていたところ、
急に月が雲間から出て穴の底まで射し込み、死人の顔を照らし出しました。
すると死人はかっと目を見開き、目だけを動かして辺りをねめ回しておりましたが、 
訴訟相手の人を見つけるとその顔を見据えて、
吠えるような大声で「お前が送り番か、悔しい」と叫んだのです。 
もちろん三人は鍬も何もかも放り出して一目散にその場を逃げ出しました。 

葬式を行った寺に駆け込んで一部始終を住職に話しましたが、
住職も怖じ気づいたのか、確かめるのは日が昇ってからということになり、
爺さん達は寺の一間を借りて過ごし、住職は朝まで経をあげていたそうです。
翌朝になりますと訴訟相手の人の姿が見えなくなっていました。
無理をいって隣町から医者を呼び、一同で墓所に出向いてみると、
野犬などに荒らされることもなく遺体は穴の中で顔だけ出した昨晩のままでした。
もちろん掘り返して医者が確認しましたが、
亡くなってからずいぶんと時間が経過しており、生き返った様子もないとのこと。
ただ「当時の医学だからどれだけ信用がおけるかわからんよ」と爺さんは笑って話してくれました。
遺体の目は昨晩最後に見たままにかっと見開かれた状態で、閉じさせるのが大変だったそうです。 

もう一度日中に埋葬が行われ、今度こそ何事もなく執り終えました。
訴訟相手の人は半年ほど行方がわからなかったのですが、猟師が山中で首を吊っているのを見つけました。
そうして死体を下ろしたときに、口からぽんと鬼灯が飛び出たのだそうです。 

爺さんは作り話で子供を怖がらせるような人ではなかったと思っていますが、
この話に関しては半信半疑というところです。
もうずいぶん前のことになりますので、記憶違いなどがあるかもしれません。


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